第5ク−ル: テーマ〈構築主義とナラティヴ〉2003年5月例会(2003/5/17、早稲田大学)2003年度前期例会(2003/9/13〜14、マホロバマインズ三浦)
2003年度後期例会(2004/2/28〜29、花園大学)
各クールとテーマ報告概要2003年5月例会第5クール統一テーマ「構築主義とナラティヴ」について第4クールにおける「物語」をめぐる討論は、各々の報告に重点が置かれすぎたため、「物語り論」自体についての認識を深めるまでには至りませんでした。そこで第5クールでは、『構築主義とは何か』の輪読で得た知見をもとに、同学問傾向を理解するための鍵でもあるナラティヴについて、正面から問い直してゆきます。各報告者には、構築主義の方法を自己の専攻領域に積極的に援用し、その問題点と課題を指摘してゆく義務が課せられます。 2003年度前期例会北條勝貴 氏 問題提起「他者表象・自己言及・物語—第4クールから第5クールへ—」第4クール総括参照 池田敏宏 氏 報告1「『歴史学的考古学』の身体化—知の系譜考—」職人の世界では「仕事は体で覚える」ことで、または「他人の技を盗む」ことで、一人前の職人になると言われている。が、これは職人の世界ばかりでなく学問の世界においても同じである。学問を学ぶ環境(学問的系譜、人的交流など)自体が、各研究者に意識的、無意識的に作用している。これが良いか、悪いかは、一人ひとりの意識・価値観によって異なろう。次に、自己の研究スタンスの妥当性を検証する上で「知の体系」の、どの座標位置(系譜)に自分があるかは明らかにしておく作業は折にふれて必要である点、それゆえ筆者は、当会第2クール「研究者と対象との距離」以来、懸案となっている、この問題を扱うこととしたこと「I はじめに」で述べた。 次に「II 筆者のケース」では、筆者が、考古学研究を志す上で、和島誠一氏や近藤義郎氏らが展開した月の輪古墳発掘運動(国民的歴史学運動)や遺跡保存運動、ひいてはマルクス主義歴史学の影響を受けたことを示した。また、考古学がいかにマルクス主義的言説のもと「歴史学的考古学」へと位置付けられたかを検討するうちに、ライフ・ヒストリーとしての学史分析、ひいては自己の価値観自体を崩壊させかねない問題—政治性の問題、左翼的ナショナリズムの問題など—にふれていかざるをえない点、言及した。 他方「III 自内証」「IV 結び」では、1)筆者のもう一つの系譜として仏教史学や、認知心理学の影響をも受けていること、2)「(唯物論的)歴史学としての考古学」が身体化されているうえで、いかに研究対象(信仰史)と向き合うかを考え、(広義の)唯物論的立場(例えば、物象化論・事象化論)とは一見、矛盾するように見える認知科学の「スキーマ理論」や「意味ネットワーク」理論を活用することで、筆者自身、方法論の融合化をはかれるのではないかとという見通しを示した。 【当日の質疑より】
【質問への回答】この2・3は御指摘の通りです。私がこれまで「歴史学としての考古学」を語る際、かなりの事象を切り捨ており、「語られなかったもの」を形成しています。次回、報告の際は、改めてこの「語られなかったもの」を拾い上げてみたく思います。 稲城正己 氏 特別報告「紹介:福島栄寿著『思想史としての「精神主義」』」本会会員・福島栄寿氏の博士論文が法蔵館より刊行された。内容は日本近代の福沢諭吉や真宗信仰者(清沢満之・暁烏敏など)の言説を取り上げて、近代の宗教的言説がどのように形成され、いかなる影響を与えていったのかを、テクスト分析の方法を用いて明らかにしようとする意欲的な論文集である。本書の構成は以下のとおりである。
本書は、ポスト構造主義の視点から解読しようとする方法を採るが、それとともに、福島に大きな影響を与えている明治期の真宗信仰者・清沢満之の言説がどのようにして生み出され、以後の宗教者に読み解かれ、彼に影響を与えるようになったのかを、彼の「自分史」(「あとがきにかえて」参照)と重ね合わせながら叙述されるところに、従来の思想史とは異なる本書の特色がある。福島がなぜそのような方法を採るかについては、《序章》に詳述されている。福島は、子安宣邦の方法に示唆を受け、従来の思想史研究が抱えていた、研究者が「テクストを読むことにかかわる特権」をまず批判する。そしてテクストの自律性や「言説」性に着目し、テクストの機能と影響、他の言説との関係性の解読へと向かう。そのような方法を用いたのが《第一章》と《第二章》である。 《第一章》では、阿弥陀仏への絶対的な帰依を説く「精神主義」を提唱した清沢満之の「思想」自体ではなく、彼のテクストが生み出した影響が分析される。彼のテクストの読者たちは、阿弥陀仏や親鸞とともに、清沢満之を讃仰するテクストを生み出していくが、それを福島は、教団の伝統的な親鸞解釈に対する対抗言説としての役割を果たしたと解釈する。《第二章》では、近代日本を代表する啓蒙思想家・福沢諭吉のテクストのなかの宗教的言説が解読される。福沢は、「自国の独立」を達成するために、「愚民」の倫理性を維持する手段として宗教は有用であるとする「宗教利用論」を主張する。福沢の言説は、真宗僧侶であり哲学者として知られる井上円了の、すべての人間にとって宗教は有用であるとする反論を生み出し、また、阿弥陀仏の前ではすべての人間は「愚民」に過ぎないとする清沢の言説を醸成していったことが明らかにされる。 《第三章》は、日本の近代社会は「国民国家」というコンテクストによって社会的差異の再定義を行ったとするキャロル・グラックの「近代の文法」に示唆をえて展開される。福島は、「精神主義」の継承者・暁烏敏による『歎異抄』解釈は、江戸宗学と「近代」という二つの「他者」の狭間での「自己」の再定義の試みと捉える。しかし、「自己」確認の暁烏の試みは、「自己」を超えて「日本人」の優越と、『歎異抄』を世界を導くことのできる稀有のテクストとする、危うい言説の生産へと向かって行ったことを指摘する。《第四章》は前章と同じ、十九世紀におけるテクストの再解釈がテーマである。ここでは江戸宗学で中心的位置を占めた蓮如を、「近代」の歴史学というコンテクストで再生しようとした、忘れ去られてしまった歴史家・七里辰次郎の「蓮如伝」の解読が試みられる。 《第五章》では、上野千鶴子やジョーン・スコットのジェンダー理論を用いて、「精神主義」を提唱した「男性」論者によって発行された仏教婦人雑誌、『家庭』の言説が分析される。『家庭』は、仏心に満ちた「小極楽」を理想的な「家庭」として語り、それを実現するのが女性の役割とするが、それは「精神主義」という救済の言説に、男性/女性という分割線があったことを意味しているとし、「精神主義」のもつ陥穽を指摘する。 以上のように本書は、ポスト構造主義の方法を用いて近代の宗教的言説の分析を行うのだが、さらにそれらの影響を受けて福島のなかに形成された宗教観が、近代の宗教テクストの解読にいかなる影響を与えているのかを視野に入れた研究である。それは「あとがきにかえて」にあるように、思想史研究者の責任と思想史研究の意義を忘失しないために必要な方法である。本書の方法は、今後の思想史研究のみならず、歴史学を始めとする各分野の研究が向かうべき方向に示唆を与えてくれるものであることは間違いないであろう。 内藤亮 氏 報告3「造寺縁起の物語論的研究」報告者は、『ジラティーヴァ』2号においてモノ形式とコト形式の距離を論じ、また『日本史の脱領域』では史実・「史実」・伝承の関係を論じたが、抽象化の過程を提示できないままであった。本報告はその課題克服を目指して行った。先ず『構造主義とは何か』と、ロラン・バルトの『エッフェル塔』を読解した。次いで、伝承の年代的順序性が、史実の時系列を組替えていくというバルトの指摘を起点として、1)モノの形状と材質からは正確な年代観/史実を読み取れること、2)だがモノをある属性によって言語化し類型化して生じるモノ形式/「史実」では年代観が捨象されること、1・2)を解釈して成立する伝承では、自己目的に見合う情報を、構成要素として組み合わせて取捨選択していること、を当麻寺縁起を通じて確認した。なおこの構成要素の組み合わせ方、伝承の展開パターンをコト形式に該当すると考えている。 【討論についての所感】構築主義が、構成要素の組成論とは相容れない、物語を総体的に捕らえる思想であることを、理解できていなかったことを痛感した。またモノが主体的に語るのではなく、報告者の恣意性がモノに語らせてしまっていることに思い至った。言語とモノの相反性を論じることは実に困難である。 松下道信 氏 報告4「中国出版文化史についての方法論的ノート」当発表では、日本の中国学における「書物の文化史」研究の現状と問題点を報告した。 日本では、フランスの「書物の文化史」研究が日本に紹介される直前の1990年ごろより井上進、大木康などが先駆けとして登場する一方、清水茂が、マクルーハンなどを参照しつつ、紙の出現による漢代の学術の変化を報告している。その後、R.シャルチェ等が紹介された後、小島毅などが「書物の文化史」の朱子学への応用を試みる。報告者は、こうした流れを整理した後、それぞれの問題点を指摘し、また研究が儒教に偏っていることから、報告者の専門分野である道教における応用例を紹介した。 【討論についての所感】質疑は道教における応用例に集中し、あまり理論面に踏み込んだ議論ができなかった嫌いがあった。今後は、マンタリテと井上のいう「風気」の問題など、更に理論的な面を中心に推し進めたい。 |
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