ジラティーヴァ

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第2号: 特集「研究者と対象との距離」

(Special Issue: The Relationship between the Scholar and the Object of Study)

  • 2001年9月刊、61ページ
  • 頒価900円(会員700円)

研究の科学性は、問題意識によって支えられている。前号、我々は〈歴史と問題意識〉というテーマを設定し、自分の足下を見つめる作業から、第一歩を踏み出した。そして、我々は第2号のテーマとして〈研究者と対象との距離〉を選択した。

研究対象は、ア・プリオリに研究対象として存在しているわけではない。研究対象を研究対象として見出したその瞬間、研究者と対象との距離は生じている。

「研究者はどのように対象と接していくのか?」

この問いは、限りない客観性を対象に与えると同時に、限りない主観性を研究者に自覚させる作業であろう。またそれは、主観・客観という二項対立を常に疑い続け、乗り越えるための問いでもある。

今号の執筆者は、語らぬモノを対象としている考古学者、アメリカを拠点としている日本史学者、南米ボリビアの人々を対象としている日本人人類学者と、いずれも常に対象との距離を意識せざるを得ない研究者たちである。

読者の方々から、忌憚のないご批判・ご意見を頂ければ幸いである。(水口幹記「問題提起」より)

目次と概要

水口幹記「問題提起」

(MIZUGUCHI Motoki. Addressing the Issues.)

兒島峰「記述する権利‥‥;一方的な関係の構築?」

(KOJIMA Mine. What would be Formed, Distorted, or Destroyed by an Author?)

社会で個人が他の個人と結ぶ関係は、一定しているのではない。ヒエラルキカルな関係とは、常に一方が他方の上位に位置するのではなく、状況に応じて両者の関係が転位する。このような動態としての社会を「記述」することは、一部の劣性を強調することにより、併せもっている優という別の属性を不可視化したり、または、その逆でもないはずである。本稿では、社会人類学の立場から、記述するという行為の過程で、研究対象とどのような関係が構築されるのか、記述する権利をもつ研究者が研究対象に向けるまなざしから考察する。

内藤亮「モノ形式とコト形式の距離」

(NAITO Ryo. The Distance between Material Form and Ideal Types.)

モノ(物質資料)を研究対象とする考古学は、A;モノをある属性に基づいて類型化し、B;各類型の時空上の分布状況を検討あるいは解釈した上で、C;コト(歴史像)を考察している。そこでは自ずと二重の間隙が生じ、研究者の恣意性や主観が入り込み、モノ・コト・研究者の間に宿命的な「二段階の距離」を形成している。対象との距離の圧縮に苦心惨嘆している研究者は、モノからコトへの昇華を急ぐあまり、モノ類型からコト類型に論理的に飛躍しがちである。しかし、モノは個々に在るのであってモノ類型で在るわけではなく、まして個々のモノがある特定のコト類型だけを表象して存在することはありえない。それでは研究者は、この検討対象であるモノとの距離をいかにして詰めていくべきであろうか。本稿は、古代寺院の伽藍配置を例にモノ類型・コト類型の関係について考察し、今日完全に行き詰まりつつある単系発展段階論的な古代仏教史観を打破していく試みである。

若林晴子「アメリカの日本史研究者と『対象との距離』―翻訳という視点から考える―」

(WAKABAYASHI Haruko. The Role of Translation in the Study of Japanese History.)

本稿は、アメリカの日本史研究者が「対象との距離」の問題とどう向き合ってきたかを「翻訳」という視点から、以下の2点を基軸にして検証する。第一に、日本史研究における翻訳の諸問題を考察する。これには、研究に不可欠である一次史料などの翻訳と、その研究成果をまとめる際に必要とされる歴史用語や概念の翻訳とがある。第二に、日本史という研究分野を「国際化」する手段としての翻訳である。この場合の「国際化」を、筆者は日本人研究者と外国人研究者との距離の縮小化であると考える。以上を通して、アメリカにおける日本史研究の現状、翻訳に伴う問題点、そして日本史研究の国際化に際する課題などを考察する。

イーサン・セーガル「映画、目撃者、歴史家―ポストモダン歴史学についての一考察―」

(Ethan Segal. Movies, Witnesses, Historians: Reflections on Postmodern Approaches to History.)

アメリカでは、言語論的転回や歴史に対してポストモダン思想の批判が注目を集めている。しかし、多くの歴史家にとって、ポストモダン思想の内容は理解しにくいものである。この論文では、アメリカで日本史を研究する者としてできるだけ簡単に西洋のポストモダン思想を説明しようと試みた。歴史映画等の一般民衆の例を基にして、色々な歴史の語られ方を探究する。各々の方法にとって研究対象との距離はどのように関係しているのか。そして、距離がない場合、はたして客観的に歴史を語ることができるのだろうか。

森下園「総括: 〈研究者と対象との距離〉をめぐって」

(MORISHITA Sono. Concluding Remarks.)

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