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以下のテキストは、『印度学仏教学研究』104 (52-2)、2004年3月、pp. 582-587に掲載された論文の提出原稿を HTML化したものです。 実際に掲載されたものと異なる場合があると思いますが、 ご了承ください。漢文中の返り点や送り仮名等は省略しました。


「麁食和上必当作仏」―『守護国界章』における円機未熟の読者について このエントリーを含むはてなブックマーク

師 茂樹(花園大学

一 「円根未熟」の徳一

最澄・徳一論争前期の大著である本稿では、『守護国界章』(以下『守護章』)には、 徳一個人に対する「麁食者」という呼びかけのほかに、 「諸の有智者」「将来の学生」などといった徳一以外の読者を想像させる文言が散見する。 本稿では、『守護章』において最澄がどのような読者を想定していたのかについて、その時機観をもとに考察する。

最澄の時機観として有名なのが「円機已熟」であり、法華一乗、天台宗の宣揚や、大乗戒壇独立運動の原理として注目されてきている。 すなわち『依憑天台集』の序文に、

我日本天下、円機已熟、円教遂興。(伝全三・三四三頁)

とあり、また『守護章』巻上之下に、

当今人機、皆転変、都無小乗機、正像稍過已、末法太有近。法華一乗機、今正是其時。(伝全二・三四九)

とあることが主な根拠とされており、 いよいよ末法を迎える当時の日本人にとって瑜伽行等の迂回道はふさわしいものではなく、 大直道・飛行無礙道にあたる法華一乗こそが機根に応じたふさわしい仏道である、としたのである。 もちろん円教は、五時のそれぞれでも部分的に説かれているので、頓機の菩薩などはそれを聞くだけで悟ることができるのであるが、 法華一乗の機が「純熟」し、最澄らの手によって天台円教がもたらされた今、純円の教たる『法華経』によるべきだ、 というのが、最澄の主張であるというのである。

ところで、この「円機已熟」の人とは、どのような人を想定していたのであろうか。 先学の研究を概観してみると、戦前にはこの「円機已熟」を日本人の優秀性を示すものだとする ナショナリスティックな解釈もあったが、 それ以後の研究者によって否定されているようである。 すなわち、竹田暢典氏は

(前略)円機たるためには、凡聖、利鈍、真俗の別が、まったく問題とされなかったのであり、 ここに、伝教大師の機類観の特質が存するものと思われる。(竹田〔一九六五〕・六八六頁)

と言い、浅田正博氏は「円機凡夫」「円機四衆」などの用例を示した上で、

円機已熟の円機とは利根の菩薩を指しているのではなく、前四時の誘引・方便を必要とする法華円教の機根であって、 ついに第五時の法華会の会座にて初めて疑網が除かれる衆生を示していることは上来よりして首肯できるであろう。 (浅田〔一九八四〕・三〇九頁)

と述べており、木内堯央氏も両氏に賛同している(木内〔一九八六〕・九頁)。 木内氏は、この点をさらに拡大して、次のように解釈されている。

円教でなければ仏道を成就できない機類ばかりの時代になったという意味である。 (木内〔一九八六〕・六二頁)
像末末初の時代の機根はみな円機なのである。(・六四頁)

すなわち、右に傍点☆補注1で示したように、 (日本国中の)全ての人々の円機が完全に熟した、という解釈である。 これに対しては、浅田正博氏の批判がある(浅田〔一九九〇〕☆1。 氏は『守護章』巻中之上の末尾に、

当知、求仏道者、努力努力、莫入歴劫険難路。但除円根未熟者、以余深法利喜故。 (伝全二・三九五~三九六)

とある点を指摘し、「円根の熟さない者もいることを最澄が認めている」と述べられているのである。 右の発言は『法華経』囑累品に、

於未来世、若有善男子善女人、信如來智慧者、当為演説此法華経使得聞知、為令其人得仏慧故。 若有衆生不信受者、当於如来余深法中示教利喜。(大正九・五二下)

とあり、また『法華論』巻下に、

言声聞人得授記者、声聞有四種。 一者決定声聞、二者増上慢声聞、三者退菩提心声聞、四者応化声聞。二種声聞如来授記、謂応化者退已還発菩提心者。 若決定者・増上慢者二種声聞、根未熟故不与授記。菩薩与授記者、方便令発菩提心故。(大正二六・九上)

とあるのが背景にあるのだろう。『守護章』巻中之中でも、

三世定性者、対法華経日、皆成不定性、但除根未熟。(伝全二・四〇三)
信仏慧之徒、将帰天台義。若不信受者、余深法中、示教利喜耳。(伝全二・四一一)

という表現が見られる。『守護章』は「天台法華義」に対する批判書『中辺義鏡』への再批判の書でありながら 円教たる天台宗義だけで構成されているとは言えず、 むしろ少なからぬ円教以外の学説がお互いに矛盾を孕みながら同居しているという形態を取っているが、 これも「円機未熟」である徳一に対して「余の深法」を示していると考えれば納得がいく☆2

二 守護国界を担う者、地獄に堕する者

しかし、『守護章』冒頭の序文を見ると、それほど単純ではないことに気づく。

一乗・三乗遠伝唐来、仏性・法性遙開鞨西。於是、天台智者聽妙法於釈尊、慈恩乗基授函杖於玄奘。 五味・三時随機而雷霆。三車四車比輪而運載。権実同韻、守護国界、偏円異轍、広済黎元。 乃有奥州会津縣溢和上、執法相鏡、鑒八識面、挙唯識炬、照六境闇、忽造中辺義鏡三巻、盛破天台法華義。 且為洗除執垢、集諸家文、敬代喜根頌、遙馳加持字。(伝全二・一五二~一五三)

ここでは、まず、五時教判・四車を説く天台宗と、三時教判を説き三車家の立場にある法相宗とが、 両輪のごとくお互いを補完しあうような関係で国を守護し、国民を救うことが述べられた(傍線A)後、 法相教学に執着し天台宗義を批判する徳一に対しては、「喜根の頌」に代わりに諸家の文を示すことで、 その執著の垢を洗い落してやろう(傍線B)、という。

この「喜根の頌」とは、『諸法無行経』下巻に述べられる文殊菩薩の告白(大正一五・七五九a~七六一a) を指している☆3。大略は以下のとおりである。

ある時、喜根という名の菩薩があったが、利根のために諸法実相ばかりを明かし、 「貪欲は障礙ではない」などと説いて、少欲知足などを讃えることがなかった。 しかし、戒律を護持する勝意比丘には、喜根菩薩が妄説を説いて衆生を迷わせていると思われ、それを衆人に語った。 その時喜根菩薩は、諸法実相についての偈を説いて多くの聴衆を利益したが、勝意比丘は裂けた地面より大地獄へと落ちた。 その比丘が極めて長い時間を経て転生したのが今の文殊菩薩であるという。

このエピソードについては、『法華文句』において、『法華経』の冒頭で退席する五千の比丘とのからみで議論されている。

問。仏大慈悲、何不神力使其住而不聞如華厳中聾唖、何不増状毒鼓如喜根勝意。 答。各有所以。華厳末席始開於漸、未破小執故在座而隔、今諸仏法久後、要当説真実、正欲滅化破庵、宜須揀遣。 若去住倶謗、宜如喜根強説。今去則有益那忽令住、住則有損那忽不遣。 喜根以慈故強説。如来以悲故発遣。(大正三四・四九上)

すなわち、仏に慈悲があるならば、『華厳経』を如聾如唖で聞いていた聴衆と同じように、 神通力で五千の比丘を退席させないこともできたのになぜそれをしなかったのか、という問いに対して、 退席したほうが利益になる場合には退席させ、そうでない場合には『華厳経』のようにそこにいさせるが、 勝意比丘の場合はどちらにしろ謗法するので、喜根菩薩は慈悲によってあえて説いたのだ、 と答えている☆4

最澄が、喜根菩薩の説法を天台教学になぞらえ、地獄に落ちた勝意比丘を徳一に見立てていることは、『守護章』巻上之上において、

麁食者、写取苑公似破文、誑惑後学引阿鼻。 是故、写取苑公能破文、開示後学済阿鼻。(伝全二・一六五)

と言っていることからもわかる。慧苑による天台批判の文を喧伝することで後学を惑わし阿鼻地獄への道連れにするな、 と言うのであるから、天台を誹謗した罪によって徳一は阿鼻地獄に落ちるものとされているのであろう。 同様に巻下之下でも「将に大坑に堕せん」と述べている。

さて、右の文でわかることは、まず、傍線A部からもわかるように、 「権」であり「偏」である法相宗(の教学)に「守護国界」の機能があることを認めている点である。 この点について常盤大定氏は、

(前略)「守護国界」の目は、章中三回使用せらる。第一の序にいう、
権実同韻、守護国界、偏円異轍、広済黎元、
これは、一乗・三乗を同格に見たるものなれども、次の二は別格とす。 今為守護国界主、直弾麁食似破義、云爾、
更に最後にいう、
庶而今而後、国無謗法声、万民不減数、家有讃経頌、七難令退散、守護国界、蓋謂其斯歟。
是等三回のものは、次第を以て進めり。初は三一対等の地にあり、中は三を破りて一を立つる地にあり、 後は三を破り終りて後の一のみなる地にあり。伝教の意が、最後にあるは、勿論なり。 (常盤〔一九三〇〕・三四五頁)

と述べ、『守護章』が「三一対等の地」から「一のみなる地」へと昇華する構成になっているとする。 しかし、『中辺義鏡』への反駁の書である『守護章』にそのような構成があると考えるのは強引であろう。 『守護章』の最終章に華厳一乗を「救う」ための議論があることをあげるだけで十分な反証となろう。 逆に常盤氏が引く最後の文(伝全二・六八〇)は「国に謗法の声無」ければ「権」であり「偏」であっても 「国界を守護」し得る、と読むべきなのではなかろうか。

一方、(最澄から見れば)謗法者たる徳一は、しばしば「自宗の義に背く」(伝全二・二六六)、 「自宗他宗、倶に許さざる也」(伝全二・六五一~六五二)などと批判されることが多いことからもわかるとおり、 「国界を守護」し得る真の法相宗徒として最澄に認められていないようでもある。

そして、傍線B部からわかるように、法相宗の皮をかぶって天台を批判する徳一に対しては、 「喜根の頌(=天台教学)に代えて」「諸家の文を集め」ることが対策としてあげられている点は、 先に指摘した「円根未熟」の者に対するに「余の深法」を以てする教化の仕方と共通するものである。 これについては、『依憑天台集』にも同様の表現が見られる。

我日本天下、円機已熟、円教遂興。此間後生、各執自宗、偏破妙法。 或云天台所立四教可外道説、或云新羅大唐所咲也。今為明定所咲多少、且集諸宗依憑、以為後代亀鏡也。 (伝全三・三四三頁)

ここで批判の対象となっている「此の間の後生」は、徳一と同様、天台宗義に対する批判者であろう。 「各々が自宗に執している」という表現からして、そうした批判者が各宗に少なからずいたのではないかということが想像される。 そのような者に対しては「諸宗の依憑(の文)を集め」ることが対策方法としてあげられており、 先に指摘した『守護章』における徳一への態度と共通すると言えよう。 つまり、妙法を破する「此間後生」が『守護章』の徳一に対応し、天台に依憑している「諸宗」が同じく国界を守護し得る 「権」「偏」に対応するのであろう。

もちろん、『守護章』巻上之下に「麁食和上は必ず当に仏に作るべし」(伝全二・二九一)とあるとおり、 最終的には徳一も成仏するとされている。巻上之上には、

今遮其似破、直示正義。麁食者、雖不信受、為後世之因。(同・一九八)

と言うように、『守護章』における最澄の円教の提示は、 やがて来るであろう徳一の円機が純熟する時のための布石だということもはっきりと意識されている。 「後世の因」という考え方は、先の『文句』からも読み取れるが、 同じく『諸法無行経』について述べられた次の『摩訶止観』の記述によってより明確になるだろう。

如喜根為諸居士説巧度法、皆得無生忍。勝意比丘行拙度法、無所克獲。後遊聚落聞貪欲即道而瞋喜根、云何為他説障道法。 作擯未成喜根為説偈、即便身陷。菩薩知其不信会墮地獄、是故強説作後世因。(大正四六・一〇四上)

つまり、最澄の『守護章』撰述の意図は、徳一を始めとする円機未熟の者たちに対して、 堕地獄の先にある後世を考えた慈悲によるものだったのである。

三 まとめ

以上の検討から、『守護章』の執筆の前提となる読者設定について把握できたのではないかと思う。 最澄の考える読者は円機未熟の者であるが、そこには謗法者である徳一と、 今のところ謗法者ではない南都の「将来の学生」の両方が含まれている。 そして、前者に対しては「余の深法」すなわち円教に依憑している円教以外の教えを、 それを説くことで地獄に落ちる者がいることがわかってながらも、積極的に示すという手段をとっているのである。

喜根・勝意のエピソードは釈尊在世時よりはるか昔の話であるし、 釈尊が『法華経』を説いたときも退席する五千人の増上慢が存在した。 そして最澄もまた、徳一のような謗法者と相対している。 言い換えれば、過去に円教が説かれようとするときには、必ず円機未熟の者も存在したのである。 浅田氏は円機已熟について「南都諸宗に対して法華経による救済を宣言した理想の表明」 (浅田〔一九九〇〕・十頁)と解釈されているが、 最澄はむしろ、円機已熟の時に円機未熟の者が現れることを、これまで何度も繰り返され、 またこれからも永遠に繰り返されるであろう必然として認識していたのではなかろうか。

参考文献

浅田正博〔一九八四〕
「伝教大師最澄における円機已熟思想の検討」(日本仏教学会編『仏教における時機観』、平楽寺書店)
浅田正博〔一九九〇〕
「伝教大師の「円機已熟説」再考 木内尭央教授説に対して」(『印仏研』三八・二)
浅田正博〔二〇〇二〕
「伝教大師最澄における宗派意識の推移について」(『日本仏教綜合研究』一)
奥野光賢〔二〇〇二〕
『仏性思想の展開 吉蔵を中心とした『法華論』受容史』(大蔵出版)
木内堯央〔一九八六〕
「伝教大師における円機已熟の論理」(『大正大学研究紀要』七二)
薗田香融〔一九八一〕
「最澄の論争書を通じて見た南都教学」(『平安仏教の研究』、法蔵館)
竹田暢典〔一九六五〕
「伝教大師の機類観」(『印仏研』一三・二)
常盤大定〔一九三〇〕
『佛性の研究』(丙午出版。国書刊行会、一九七三年再刊)

脚注

  1. 学会発表時点で筆者は、 「全ての者を悟入させるその時が遂に来たとの表明」(浅田〔一九八四〕・三一四頁) 「全ての者を悟入させるその時が遂に来たという機熟の宣言」(浅田〔二〇〇二〕・二五頁)などの発言から、 浅田氏が木内氏に近い解釈をされているのではないかと考えていたが、 浅田氏のご指摘によってそれを改めた。ここに発表時の誤解を訂正するとともに、浅田氏のご叱正に感謝申し上げる。
  2. 薗田香融氏は『守護章』等のこのような性格を「「依憑天台」の論理」と呼び、 それが「「円機純熟」に裏づけられていた」(薗田〔一九八一〕・九九頁)とするが、 これは以上の考察からすればまったく反対であると言わざるを得ない。
  3. この喜根菩薩と勝意比丘の説話は、巻下之下にも見える(大正七四・二三八下)。
  4. 奥野光賢氏は『文句』のこの部分が吉蔵にも見られる点を指摘する (奥野〔二〇〇二〕・一四〇~一四三)。 この点に限らず、奥野〔二〇〇二〕には大いに示唆を受けた。

補注

以下の補注は論文が出た後のもの。

  1. 本ページでは傍点を強調で表現する。


mailto: s-moroNO@SPAMhanazono.ac.jp
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