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『東洋大学大学院紀要』第34集、1998年2月、pp. 153〜171。ただし印刷されたものと異なる場合があります。

※ 本文中の傍点はすべて強調に改めた。割注は下付き文字に改めた。


最澄所引の賓法師『融文』について このエントリーを含むはてなブックマーク

師 茂樹

一  問題の所在

最澄と徳一との間で展開されたいわゆる三一権実論争において、巻数の大きさ、内容の充実度などから論争の初期を代表する書としてあげられる『守護国界章』(以下『守護章』と略す)は、その重要さを認識されながらも複雑に入り組んだ論争経過や、引用文献の広博さなどから、未だ全体的な解明には至っていない。最澄教学研究の方面からは、田村晃祐氏の『最澄教学の研究』(一九九二年二月、春秋社)が優れた業績をあげているが、論争経過の把握に重点がおかれたものであり、『守護章』本文の詳細な分析には至っていないと考える。

本文研究が進まない原因として考えられるのは、先に述べたように引用文献の広博さもさることながら、これら多くの引用文献のいくつかが現存しない逸書であり、しかもこれらが最澄や徳一の論拠として重要な位置を占めているからである。本文に埋め込まれた引用文献の範囲が特定できなければ引用者である最澄・徳一の意図もつかみがたく、また典拠の作者等が不明であれば思想史的な文脈も解明できない。

小論で取り上げる『融文』も、『守護章』巻上之中に引用されていながら現在まで不明な点が多かった逸書のひとつである。これは、四諦が二種であるか四種であるかという論争の中で、徳一の二種四諦説を批判する最澄の論拠のひとつとして引用されているのであるが、その作者と目される賓法師の引用は『守護章』の処々にみられ、特に下巻の仏性論争においては、法宝や霊潤に列ぶ扱いを受けている。したがって『融文』ならびに賓法師について研究することによって、『守護章』当該箇所の解明のみならず、中国における仏性論争史の一角にも光を当てることができるのではないかと期待されるのである。

以下、論述方法としては、まず内容的にまとまりがあり他の思想との比較が容易な『守護章』巻上之中所引の『融文』について分析し、その他の引用については引用範囲の特定等に問題があるため簡単な分析にとどめたい。

二  『融文』の著者について

今、この『融文』についての先学の研究を見てみると、まず浅井円道氏が次のような重要な指摘をしている。

融文とは他の最澄著作によると大薦福寺座主賓法師という人の著作であり、また円珍の辟支仏義集に「助照法華融文集」の名が見えるから、賓法師という人の助照法華融文集という書物であることがわかるが、不現存(1)

氏の言うところの「他の最澄著作」とは、『法華去惑』巻四(新版『伝教大師全集』(以下『伝全』と略す)巻二、一四〇頁)と『守護章』巻中之下(大正七四、二〇八b)に「賓法師融文集」とあり、『守護章』巻下之上に「大唐大薦福寺賓座主」(大正七四、二二一a)とあるのを指す。また、円珍は引用のあとに「但賓公釈麟角等非得記人」(『智証大師全集』中、六三一上。傍点筆者、以下同じ)というコメントを付しており、「助照法華融文集」の著者が賓法師であることを示唆している。したがって、浅井氏の指摘は納得のいくものであり、『融文』の作者が大薦福寺にいた賓法師という人物であることは間違いないだろう。

また、氏が指摘する以外にも、『守護章』巻下之上にみえる「大薦」(大正七四、二一八a)「大唐大薦」(大正七四、二一九b)、同巻下之中にみえる「大薦前宝、後」(大正七四、二二三c〜二二四a)「大唐諸師潤・等、新羅暁・栄等」(大正七四、二二四a)などが賓法師に関するものとして考えられ、『守護章』下巻で展開される仏性論争において、最澄の重要な論拠のひとつとなっていることがわかる。また霊潤、法宝などとともに列せられている(「大薦前宝」とは、大薦福寺に以いた法、ということであろう)ことから、その後継者とみなされるような人物であったことがわかる。

これに加えて薗田香融氏が、『守護章』巻下の引用書の著者として唐代相部律宗の学僧とされる定賓をあげている(2)が、管見の及ぶ範囲では『守護章』にはっきりと定賓のものとわかる引用はないため、これは先にあげた「大唐大薦福寺賓座主」などについての言及ではないかと考えられる。

賓法師が定賓であるかどうかについてであるが、定賓の乏しい伝記史料(3)からは、大薦福寺に居たということを確認することはできない。また、諸目録における定賓の著作は、『四分律』と『因明入正理論』の注釈書のみであり、浅井氏が指摘する『助照法華融文集』などを見いだすことはできない。ただし、凝然『四分戒本疏賛宗記』巻一に引用される「鑑真和尚広伝(4)」には、

鑑真和尚広伝上云、
爰有定賓律師。三蔵洞閑探諸疏家、唯法礪疏雅合宮商、然文義甚難、随文作飾宗義記九巻、良以第二已去附文銷釈、開済当時務以先出。後便於蔵中手探経論、乃探得法華即作疏、兼講三遍。又作如来蔵経疏・維摩経疏・楞伽経疏・涅槃経疏・起信論疏・瑜伽論注・唯識疏・因明等疏、各講三遍。却来作飾宗義記第一、雖開五門、一纔至半便即無常。仏法東流、経論学者無能過之、時人称為法律師也已上(『日本大蔵経』二一、四a)

とあり、定賓が『法華経』等の疏を作ったことが知れる。注釈書である「疏」と他書との融通をはかると思われる「融文」とでは、書物としての性格が異なるとしても、定賓の『法華経』に対する造詣の深さがうかがわれ、注目に値する。

また定賓は、『決権実論』において、

当知、道生・吉蔵・霊潤・法宝・法蔵・慧苑・定賓・澄観、法相宗義寂・義一・良賁等、 新羅国元暁法師、大日本国上宮聖徳王、約一乗実教(『伝全』二、七〇〇)

とあるように一乗家の一員として列せられており、先に指摘した法宝・霊潤らとならべられる賓法師の姿とだぶる。また定賓は相部律宗に属するとされるが、布施浩岳氏によれば(5)相部律宗は『涅槃経』や摂論宗義を兼修する伝統があったというから、法宝ら涅槃宗の系統に列せられる下地はあったと言ってよいだろう。先に上げた「鑑真和尚広伝」の引用においても、『如来蔵経』や『涅槃経』、『大乗起信論』等についての疏があったことが書かれており、定賓が摂論宗系の教学を受け継いでいたと考えても大過ないのではなかろうか。

問題は、経録にも載っておらず、書写された形跡もない『融文』を、どのようにして最澄が情報を知り、手に入れることができたかであるが、ポール・グローナー氏は、

Tao-hsüan was born in Human in 702. He was initiated as a novice while youth, and was ordained a monk at the Ta-fu 大福 Temple in Lo-yang by Ting-pin 定賓 of the Hsiang-pu 相部 sect of the Lü-tsung 律宗 (Vinaya School). After studying the Ssu fen lü with Ting-pin, Tao-hsüan decided to travel and study with different teachers.(6)

と、最澄の師の一人、行表が師事したという道璿(Tao-hsüan)が定賓によって得度したことを指摘しており、賓法師が定賓であるとすれば行表・道璿を経由しての入手も考えられる。

これらの情報を総合すると、賓法師が定賓であることの可能性はかなり高いのではないかと思われる。「賓」という珍しい名前を共有していることも、そう思わせる要因となっている。もちろん、最終的な判断は、賓法師の引用文の検討と定賓教学の解明、及び両者の比較を経た上でなされなければならないのは言うまでもないが、後に述べるとおり、本覚をめぐる解釈について共通性が見られるなど、ごく一部ではあるが教学上の類似性も明らかになっている。

ちなみに賓法師なる人物は、石田茂作氏の「奈良朝現在一切経目録(7)」に『法華論疏』という書物の作者として見え、また同目録には「濱法師」なる人物の『梵網経疏』という書名も見える。これらの書物は、ここまで分析した賓法師や定賓の著作に見えず、これだけでは両者を結びつけることは難しいだろう。ただ、もし同一人物であるとすれば、『法華論疏』の古文書記載年は天平勝法三年(七五一年)であり、『梵網経疏』のそれは同四年(七五二年)であるから、賓法師の活躍したのはこれと同時期かそれ以前でなくてはならないだろう。

三  『融文』の内容

一  引用範囲

内容を検討する前に、どこからどこまでが引用文であるかを見当づけなければならないだろうが、引用冒頭に「且らく融文を引きて云わく、第五教に於いては四徳観門なり…」(大正七四、一五二b)とあることから、『融文』引用箇所の主題が観門についてであると知れるが、「上来、機に随いて観門を開くを訖わる云云」(大正七四、一五三a)という一文はこの主題の締め言葉としてふさわしく思われ、また引用文の末尾に常用される「云云」もあることから、ここまでを『融文』と考えるのが適当なのではないかと思う。ただし、この引用文と思われるところの途中に「有造涅槃疏薦福法師」(大正七四、一五二c)という言及があり、『融文』の作者が先に指摘したとおり大薦福寺座主となるほどの人間だとすると、他の人を指して「薦福法師」とよぶのはいささか不自然ではないかとも思われる。小論においては、後述する内容分析もふまえた上で右にあげた範囲を穏当ととし、この呼称については賓法師が大薦福寺に入る前の著作であると考えることで了解したい。

二  内容検討

次に、文に随って内容を検討していく。その際、最澄および天台の教学と、定賓の現存する著作に見える思想との比較を念頭におきつつ進めていきたい。なお、後の分析の都合上、筆者の判断によって段落分けをし番号をふっている(番号付の引用はすべて『融文』および賓法師のものであり、それ以外のものには番号をふってはいない)。また、引用文中の記号、傍点等はすべて筆者による。

(1)且引融文云、
於第五教、四徳観門。除障転入、進満地前地上行位、乃至仏果。亦準此釈、復句除障未尽与尽、略摂以為二門四諦。
(2)一者作四聖諦。深密以前、小大教中随応安立非安立諦。其修証者、三乗同行、障由未尽、更当有作名作四諦。且如極至深密宗中説、根本智親証真如、其境雖真、智仍生滅。故知、彼真猶未真尽生滅之相、更須有作。明知、縦在大乗位中、猶求牛車也。
(3)二者無作四聖諦。即法華中開仏知見、説自身中清浄本覚真如智体、名仏知。若用智為観門者、毎能進入大乗諸位、不共二乗、故二乗所不能知。
(4)於此智上、除障未尽名為在纏、本覚猶隠。除障尽已、名為出纏、本覚既顕、名為法身。即仏真智融如境、名為眼見。真尽一切生滅相故、更無所作、名為無作四聖諦。若在因位、名為聞見、謂聞仏説如此難思眼見之智故。即安心於此仏智、故能終尽一切生滅、必定当得更無所作、亦得名為無作四聖諦。得牛車已、更無求故也。此宗為明三乗身中、畢竟顕出此真如智・菩提正体。此菩提智、一真平等故、必無有不成仏也。
(5)有造涅槃疏薦福法師云、「作相而観、名為有作。不作相観、名為無作」。復有玄賛法師云、「旧言有作無作聖諦、即新論安立非安立」者謬也。
(6)此中二種四聖諦義、或名八諦、出勝鬘経。彼経自釈、「作聖諦者、是説有量聖諦義」、謂説昔教四聖諦法。縦至十地用其門者、不能終尽生滅障、故観無生人、即不見彼不空万徳、有量也。「無作聖諦者、是説無量聖諦義」、謂説今教四聖諦法。能使終尽生滅障、故不空蔵中、其徳無量也。
(7)勝鬘経中又転釈云、「三諦入有為相、是虚妄法、非諦非常非依。滅諦離有為相、非虚妄法、是常是依」。彼文意、説昔教所明。縦使至於正体智中、親証真如、猶不真尽智之生滅。故彼滅諦、是智変相、摂相帰智、但是道諦、便是全無所証滅諦、故但三諦也。
(8)若爾、何名親証真如。答、如涅槃経第二十七説、「十住見性如夜見色、如来見性如昼見色」。故知、望於有漏観智、及以無漏有分別智、如夢見故、不名親証。今約正体無分別智、如夜窹人見色雖殊、終名親見、終変闇相在於境上。故乃今教、所望不同、昔言親証、今言変相。涅槃第八有十「復次」説喩、喩彼十住見性未能了了、即智変相、以為滅諦。加為四者、有作四諦也。有為智内、而説親証、未能真尽生滅相、故入有為也。猶自変相在於境上、故虚妄也。未極実、故非諦也。身滞為、故非常也。非真如智所依証処、故非依也。
(9)滅諦之上、三諦相空、故以滅諦為彼実性。如浄虚空、空華相空。浄空為性、即滅諦性。翻前有為・虚妄・非諦・非常・非依、是真如智依証之処。故知、更無作也。
(10)即当涅槃第十三、広釈四聖諦義云、「仏告文殊師利。『有苦五蘊有諦二乗所証生空真如、及菩薩於深密等観二空真如、竝当勝鬘有量聖諦有実唯仏所証如来蔵理、即当勝鬘無量聖諦有集有諦有実準前配二種聖諦有滅有諦有実、有道有諦有実竝準前配、此標四諦門也善男子。如来非苦非諦是実約仏果釈虚空非苦非諦是実約如来蔵譬喩而釈仏性非苦非諦是実約因位釈』」。広説如彼。
(11)由此応知、唯法華中、開観門者、方聞無作四聖諦、涅槃経中、名為心喜悦真。上来随機開観門訖云云(大正七四、一五二b〜一五三a)

まず目につくのは、障礙が「未尽」であるか「尽」であるかで作四聖諦・無作四聖諦とに分類し((1))、因位である「尽」をさらに「三乗同行」の『解深密経』以前と「二乗不共」の『法華経』以後とに分割している点である((2)〜(4))。この後には「昔教」((6)、(7)など)「今教」((6)、(8))という言葉が散見し、これが右の分類と対応しているのは間違いないだろう。

このような分類や、「第五教」などの語から連想されるものとしては、まず、深密以前と法華以後とを峻別する法宝の五時教判があげられるだろう。法宝の教判については、『一乗仏性究竟論』をもとにした寺井良宣氏の分析(8)によれば、次のようにまとめられる。

また一方で、引用者である最澄の所依の天台五時教判も候補として挙げられるだろうと思う。

冒頭にいう「第五教」というのが法宝の五時教判における第五時『涅槃経』に相当するのか、それとも天台五時教判の法華涅槃時にあたるのかを考えた場合、「四徳(観門)」という言葉からの連想でいえば法宝のもののようにも言えるだろうが、(1)〜(4)の段に限っていえば『法華経』の開仏知見によって得られた果を無作四聖諦としており、むしろ天台五時教判における法華涅槃時のほうが自然ではないかとも思われる。

ただし、『解深密経』に対する強い対抗意識と、『法華経』以後を重視する教判の原理からすれば法宝のものに近いと考えるべきであろう。天台の分類では、『解深密経』などの法相宗所依の経典は方等時に入るものとされ、『解深密経』と『法華経』との対比を強調するには些か不自然であると言えるのではないだろうか。

さらに重要と思われるものは、「開仏知見」の「仏知」を「自身中清浄本覚真如智体」と規定し、その智を用いての「見」すなわち「観門」によって二乗不共の大乗諸位に進むことができるとしている点である((3))。これは(1)の「四徳観門、除障転入、進満地前地上行位、乃至仏果。亦準此釈、復句除障未尽与尽、略摂以為二門四諦」に相当するのであろうが、先にも検討したようにここでの「未尽」は作四聖諦にあたり「尽」は無作四聖諦に相当する。(4)では「開仏知見」以後の「除障未尽」を因位である在纏とし、「除障尽已」を出纏としたうえで、それぞれを「聞見」「眼見」としている。

「本覚」「出纏」「在纏」という語が、『大乗起信論』に由来するということは言を俟たない(9)だろうが、この「聞見」「眼見」という分類は、北本『涅槃経』二七巻に、

善男子。如汝所言。十住菩薩、以何眼故、雖見仏性而不了了。諸仏世尊、以何眼故、見於仏性而得明了。善男子。慧眼見故、不得明了。仏眼見故、故得明了。為菩提行故、則不了了。若無行故、則得了了。住十住故、雖見不了。不住不去故、則得了了。菩薩摩訶薩、智慧因故、見不了了。諸仏世尊、断因果故、見則了了。一切覚者、名為仏性。十住菩薩不得名為一切覚故、是故雖見而不明了。善男子。見有二種、一者眼見、二者聞見。諸仏世尊、眼見仏性、如於掌中、観阿摩勒。十住菩薩、聞見仏性、故不了了。十住菩薩、雖能自知、定得阿耨多羅三藐三菩提、而不能知、一切衆生悉有仏性。善男子。復有眼見、諸仏如来、十住菩薩、眼見仏性。復有聞見、一切衆生乃至九地、聞見仏性。菩薩若聞一切衆生悉有仏性、心不生信不名聞見(大正一二、五二七c〜五二八a)

とあることが背景になっていると考えられる。すなわち、仏も衆生も仏性を見ることには変わりないが、仏がまさにありありと(「了了」)その眼で仏性を見ているのに対し、因位にあって仏眼をもたない十住菩薩以下の衆生は、「一切衆生悉有仏性」という仏の言葉を聞き、それを信ずることを通じて仏性を見ているというのである。これは、慧遠『大乗義章』や、法宝『一乗仏性究竟論』等にも引用されているのであるが、特に後者については、仏性義について四門を立てる「仏性同異章」の第四門「明見」において引用され、法宝の仏性説のなかできわめて重要な意味を持っている(詳しい分析は久下陞氏の訳注研究(10)にゆずりたい)。

ここで、この法宝的な思想を継承し、ここに引用している人物について考えた場合、冒頭に見える「四徳観門」と在纏・出纏との関係でいえば、『法華玄義』巻七下に、蓮花の解釈のひとつとして、

譬如泥蓮四微、処空蓮四微、初後不異、此名蓮子本末等。一切衆生亦如是、本有四徳隠名如来蔵修成四徳顕名為法身、性徳修徳常楽我浄、一而無二、是名仏界十如本末究竟等。経言、衆生如仏如一如無二如、即其義也(大正三三、七七四a)

とあり、最澄がこれを引用する背景として注目され、また田村晃祐氏もこの「本覚」を解釈する際に、

『法華経』の「開仏知見」の知を、仏身中の清浄本覚・真如の智体であると規定し、この本覚真如の智体の上の障がとり除かれた位を出纏とし、そこでは仏の真智が対境と円融して一体となり、生滅の相を尽くして所作なきを四聖諦となすと規定し、円教の円融の立場を四諦に即して述べているのである(11)

と、天台教学を前提としている。たしかに、引用範囲の特定の仕方によっては、この「本覚」を最澄の発言、すなわち天台教学に典拠を求めうる思想として考えられよう。ただし、後にも指摘するとおり賓法師の立場はあくまで二種四諦説であって天台の四種四諦説とは相容れないものである。また、右の『玄義』は、観門との関係で語られているものではなく、田村氏の分析においても「見」についての分析が欠けているため、仏性を観ずるというここでのテーマと天台教学とを結びつけるのは、早計ではないだろうか。

他方、定賓が『四分律疏飾宗義記』巻三本に引用する真諦の阿摩羅識義は、『融文』の論述と非常に近い面を持っている。

真諦三蔵云、
阿摩羅識有二種。一者所縁、即是真如。二者本覚、即真如智。能縁即不空如来蔵。所縁即空如来蔵。若拠通論、此二并以真如為体。即当金光明経法如如慧如如是也。二如来蔵、本隠在纏、客塵所覆、今得出纏、是真法身(卍続一・六六・一、四三左上)

すなわち、無垢である阿摩羅識においては、認識主体(能縁)である真如智と認識対象(所縁)である真如とは、ともに真如を本体となす如来蔵であり、煩悩に覆われた状態では在纏、それが除かれた場合に出纏となるのであるが、これは引用(3)〜(4)に説かれる内容と同じ構造であるといってよいだろう。凝然『四分戒本疏賛宗記』巻一において「真諦三蔵の所説に依憑す」(『日本大蔵経』二一、四b)と述べられていることからもわかるように、定賓は右の真諦説をほぼ無批判に受け入れており、また先にも指摘したとおり『大乗起信論』などの疏があり、真諦・摂論宗系の如来蔵義に親しんでいたことは確かであろうから、この部分に関していえば定賓の作であるとしても大過なかろう。定賓は賓法師の正体の筆頭にあげられる人物であるから、この思想上の類似性は注目に値する。

ただし、能縁を不空、所縁を空とすることについては、引用(6)、(9)において見られるように能縁(智)・所縁(境)との対応が必ずしも明確ではなく、智と境とが融ずると言う『融文』の文脈とはなじまないだろうし、また「四徳」についても、『涅槃経』との対応以外には不明な部分が多く、今後も比較研究をより深める必要があるだろう。

次に、唐代諸師を引いて、右の義を補足する((5))。「涅槃疏を造りし薦福(寺)の法師」とは、恐らく法宝を指すのであろう。法宝『大般涅槃経疏』は、第九、十巻のみ現存(12)し、その寺号は「唐大薦福寺沙門法宝」とある。管見の及ぶ範囲では法宝の著作から引用の出典を探し当てることはできなかったが、賓法師が法宝の教学を重視していることがわかる。ただし、先にも指摘したとおり、「大薦賓」などと称される賓法師がこのような呼称を法宝に対して使うのは不自然であろうが、ここに「観」という言葉が見られることから、観門についての話題が続いていると考えてもよいのではないかと思う。

また「玄賛法師」とは、『法華玄賛』の著者である慈恩大師基を指すのは間違いないだろう。『玄賛』巻七末には、

智有上有下、勝鬘依此説有八諦、謂有作四聖諦・無作四聖諦。如是八諦非二乗所知、即新翻経云安立諦・非安立諦(大正三四、七九四a)

とあり、また『勝鬘経述記』巻上には「瑜伽安立有四、非安唯一。成唯識論世俗勝義各四」(卍続一・三〇・一・三一四左上)とあるから、『融文』にいう「新論」や『玄賛』にいう「新翻経」とは、『瑜伽論』等を指していることがわかる。(2)にみえるように、『融文』における安立・非安立という分類は、作四聖諦中の小乗・大乗に対応するものであり、安立=有作、非安立=無作というような慈恩大師の分類は、誤りであるというのであろう。

次に、『勝鬘経』を略引して、右の作・無作と同様の解釈をする((6)〜(9))。まず(6)においては、有作四諦を有量四諦、無作四諦を無量四諦とする『勝鬘経』の有名な法身章(大正一二、二二一b)を引用して、功徳の有量・無量から「昔教」、「今教」を判断している。ここでは、田村晃祐氏の指摘するとおり(13)有作・無作・有量・無量を区別する天台教学とは異なっており、引用者である最澄の意図が、徳一の批判に限定されていることがわかる。

(7)〜(9)では、一諦章(大正一二、二二一c〜二二二a)で説かれるとおり、苦・集・道諦を有為相、滅諦を無為相として、前者を「昔教」すなわち『解深密経』以前の教えとしているのである。

また(8)では、作聖諦を極め「根本智が親しく真如を証する」((2))という『解深密経』の段階において、無分別智が「親しく真如を証する」とはどういうことであるかについて詳細な議論が展開されている。ここでは『涅槃経』巻二七の譬喩(大正一二、五二五b)や、同巻八に十の譬喩をもって仏性の難見を説く箇所(同、四一一c〜四一二b。ちなみに、十の譬喩のうち実際に「復た次に…」という書き出しで始まるのは七箇所だけである)を引用して、十住の菩薩が了了に仏性を見ることができないことを証しているのであるが、ここから、『解深密経』によって説かれる果が『涅槃経』でいう十住までと考えられていたことがわかる。内容としては、夜の闇中で見る色が白昼に見る色とは異なるように、十住の菩薩が無分別智によって見る真如・仏性も、生滅の闇の中では仏が見る真の相とは異なる、ということであろう。

最後の(10)〜(11)は、今まで述べてきたことをまとめる意味で引用しているという面が強い。(10)で引用される「涅槃経第十三」とは、北本『涅槃経』巻十三に見られる文(大正一二、四四三c)と同様である(ただし、割注は原文にはなく、賓法師の挿入であることがわかる)。

(11)の「唯だ法華中に観門を開くとは、まさに無作四聖諦を聞く」とあるのは、先に述べた聞見・眼見という分類からすれば当然前者に当たるだろうし、それはすなわち『法華経』が観門(=仏知)を開いたことによって、因位でありながらも二乗不共の大乗位に入ることができたことを示しているのである。他方、「涅槃経中には、名づけて心喜悦真と為す」という一文の内容について筆者の浅学では知り得たのは、吉蔵『中論疏』巻一〇本に、

顛倒是如来所離。四諦是如來所証、亦是如来所説。如来一期出世初後不同同明四諦。故初教転四諦法輪、乃至涅槃明心喜之説(大正四二、一四八c)

とあること(「悦」は「説」の混用か)ぐらいであったが、ここから『涅槃経』では「心喜」をもって四聖諦が説かれていることが類推される。『法華経』の開仏知見によって初めて無作聖諦が示されたことと、『涅槃経』において四聖諦が説かれたいうことが並置されているということで、『法華経』と『涅槃経』とを融通しているものと考えられる。

三  まとめ

以上の分析を総合すると、各経典の関係は次の図のようにまとめられるのではないかと思われる。

作四聖諦(三乗共行)は未尽であり小大乗教・解深密経である。無作四諦(二乗不共)は未尽と尽があるが、未尽(在纏)が法華経の開仏知見であるのに対して、尽(出纏)は対応するものが不明である。作四聖諦と無作四諦の未尽は因位、無作四諦の尽は果位である。

『涅槃経』の位置について明示されている部分を欠き、『法華経』についても所謂「開示悟入」のうち引用では「開」のみであるため、これ以上の判断は難しいが、先に示した法宝の五時教判と近しい構造を持っていると言えるのではないだろうか。先に賓法師の素性について、「霊潤、法宝などとともに列せられていることから、その後継者と見なされるような人物であったことがわかる」と論じたが、教判的にもこのことは推理できるのではないかと思う。

また、法宝との親近性は、賓法師と定賓とを結びつける材料ともなろう。定賓には『大乗起信論』や『如来蔵経』などに関する注疏があり、また、その思想史的な系統も涅槃宗義や摂論宗義を兼ねる相部律宗に属していて、本覚についての解釈で真諦の説を依用していることは先にも指摘したとおりである。一方、『融文』も内容的に法宝を中心とした摂論・涅槃宗系であることは再三指摘しているとおりであり、ここから両者が同一である可能性はきわめて高いと言えるのではないだろうか。

四  その他の引用について

ここまでは、『守護章』に引用される『融文』についてのみ扱ってきたが、先に指摘したとおり他の箇所にも『融文』に関する文献が見られる。これらのなかで、『守護章』に見られるものはすべて賓法師の名で引用され、かつその引用範囲も曖昧であり、また『辟支仏義集』所引の『融文』は最澄の引用ではないため、ここでは簡単に分析するにとどめたい。

『守護章』巻下之上「弾麁食者謬破定性二乗入無余後回心章第二」は、その章題通り定性二乗が無余涅槃に入った後に廻心向大することができるかどうかが論点となっているのであるが、まず「古法師(14)」が『法華経』巻三化城喩品・『大智度論』巻九三畢定品・『涅槃経』巻二三高貴徳王品などを引いて廻心向大が可能であるとする。

有古法師云執、
実決定二乗、入無余涅槃後、更回心向大成仏。何以得知。法華第三云、「我滅度後、復有弟子、不聞是経、不知菩薩所行、自於所得功徳、生滅度想、当入涅槃。我於余国作仏、更有異名、是人雖生滅度之想、入於涅槃、而於彼土、求仏智慧、得聞此経、唯以仏乗、而得滅度、更無余乗」。又智度論九十三云、「問曰、阿羅漢先世因縁、所受身必応当滅、住在何処、而具足仏道。答曰、得阿羅漢、有浄仏土、出於三界、乃無煩悩之名。於是国土仏所、聞法華経、具足仏道。如法華経説、有阿羅漢、若不聞法華経、自謂得滅度、我於余国、為説是事、汝皆当成仏」。又涅槃経高貴徳王品云、「云何涅槃、云何大涅槃。声聞縁覚、八万劫、六万劫、四万劫、二万劫、一万劫所住、名為涅槃。無上法王、聖主住処、名大涅槃」。二乗諸果、経爾所時、入彼無余涅槃後、回心向大、便引楞伽菩薩、仏等化作。経爾所時、躭三昧酒、然従彼起、回向大乗(大正七四、二一六c〜二一七a)

これに対して、徳一は『瑜伽論』巻七九を引用して「法華及智論、約密意説」(大正七四、二一七b)とし、『涅槃経』については『法華玄賛』巻七末を流用して、廻心向大するのは有余涅槃に居する不定性であると反論するのであるが、最澄はその再反論に賓法師を引用するのである。

『守護章』における引用の順序は逆になるが、賓法師の論述の意図を考慮して、『涅槃経』に関する賓法師の引用から先に見てみようと思う。

最澄が「唐破」(大正七四、二一九b)というように、賓法師の主張の大部分は徳一も引用する『玄賛』巻七末および「西明法師」(大正七四、二一九c)に対する三つの批判からなっている。批判の第一は、回向菩提声聞すなわち不定性が、『涅槃経』に「八万劫…」と説かれるような涅槃の後、廻心向大することがないということを、『瑜伽論』、『仏地経論』など法相宗側の文献を引いて証としている。

(12)大唐大薦賓云、(中略)
若説此是不定性人、回心入大、即違瑜伽論及仏地論、説不定性不進後果。瑜伽論第八十云、「復次回向菩提声聞、或於学位、即能棄捨求声聞願。或無学位、方能棄捨」。彼論意、説要棄小願、方名回心、故有学位、回心已去、決定不願更進無学。親光菩薩、依瑜伽意、故仏地論第二巻云、「若有学位、回向菩提、或随煩悩感生勢力、感彼生已、於最後身、伏諸煩悩、起定願力、資後身因、乃至成仏。或回心已、即伏煩悩、起定願力、資現身因、乃至成仏」。(後略。大正七四、二一九b〜二二〇a)

なお文中所引の論は、それぞれ『瑜伽論』巻八〇(大正三〇、七四九b)、『仏地経論』巻二(大正二六、三〇〇a)である。

批判の第二においては、まず、『瑜伽論』巻八〇に説かれる、無余涅槃に入ったようなふりをする回向菩提声聞の記事を引く。

彼雖如是増益寿行、能発趣阿耨多羅三藐三菩提、而所修行極成遅鈍、楽涅槃故、不如初心始業菩薩。彼既如是増寿行已、留有根人、別作化身、同法者前方便示現、於無余依般涅槃界、而般涅槃。由此因縁、皆作是念。某名尊者於無余依般涅槃界、已般涅槃。彼以所留有根実身、即於此界贍部州中、随其所楽遠離而住。一切諸天尚不能覩、何況其余衆生能見(大正三〇、七四九a)

そして、涅槃に入るという『涅槃経』の記事は、実はこのように涅槃に入ったふりをしているだけなのだという慈恩・西明側の反論を予想した上で、次のような解釈を施すことによって予防しようとしている。

(13)実入滅中明無住処也。亦不可言八万四万、乃至一万住処者、即是有住処也。以八万等是寂住処、約時名住。若望約方、即説以為亦無煩悩、亦無住処。豈同在於贍部州中、随其楽処。住色界約方名住、即説以為贍部州等。又約時住、是無相住、而約方住、是有相住(大正七四、二二〇b)

すなわち、『涅槃経』に「八万劫、六万劫、四万劫、二万劫、一万劫所住」というのは、時に住しているのであり無住処に相当するのだが、『瑜伽論』に言う「贍部州」は言うまでもなく色界に存在する有住処である。無住処を無煩悩処とすれば、無余依涅槃ということになり、これは先にも述べたとおり定性声聞の境界であるから、『玄賛』等の主張は成り立たないというのであろう。

最後に第三の批判であるが、これは次の一文に集約されているだろう。

(14)第五麒麟、新旧経論、何処説是不定性人、於有余位、能回心也(大正七四、二二〇b)

すなわち麟角独覚とは不定性のことであり、有余位において廻心向大しうるなどということは新旧経論どこを見ても書いていないことから、廻心向大は無余位の定性にもあり得るのだということを主張しているのであろう(なお、麟角についての分析は、後に引用する円珍『辟支仏義集』巻下所収の『融文』に詳しいので、そちらにゆずる)。

いずれにせよ、賓法師は徹底して定性であることを主張し、『涅槃経』にいう「八万劫、六万劫、四万劫、二万劫、一万劫」のあいだには仏記を受けることがないことを強調する。

(15)又復涅槃意、説極顕定性二乗(中略)今此且明涅槃意、説八万劫等、竝不遇仏、必不得記。或雖遇仏、不遇法華故亦不記。竝入寂中、経八万等。此中所論八万劫等、是何劫。待至下文化城品中(大正七四、二二〇c)

そして、最後にこの「八万劫」という期間が何を意味するかについては、化城喩品の文を待て、とするのである。偶々、次に分析する賓法師の引用((16))は化城喩品についてのものであるが、ここにつながりがあったとも考えられる。

続いて、『法華経』化城喩品についての、賓法師の解釈について分析する。これは先に述べたように、徳一が化城喩品の記事について「約密意説」と主張することにたいする最澄の反論の論拠として引用されている。

(16)大薦賓云、
準化城喩、有法喩合。於法文局定性、非曾退大、極分明相、辨無余寂覚成仏、使得意訖。方説喩文、乃後正拠退大定性之人、以兼法中非退定性。
今且応叙法説之中、拠極定性分明之相、即是涅槃第十、所照之文。如下文云、「我滅度後、復有弟子、不聞是経、不知不覚菩薩所行、自於所得功徳、生滅度想在有余時、於無為徳、生得滅相当入涅槃乗前滅度想、必当入於無余中也。即涅槃経云「世若無仏、非無二乗得二涅槃。又当無量阿僧祇、乃一仏出」。故不聞知也我於余国作仏、更有異名、是人雖生滅度之想入於涅槃、而於彼土求仏智慧、得聞是経。唯以仏乗、而得滅度即当「諸阿羅漢、無有善有。何以故。諸阿羅漢、皆当是大涅槃故」」。其法華文、正当与涅槃第十巻中、義味一同。亦与楞伽両節経文、其相符会。一者為超入無所有処、二者自覚滅等(大正七四、二一八a)

譬喩の解釈で法・喩・合を用いるのは、『玄賛』などにもよく見られる方法であるが、ここでは、法のみを扱っているようである。その法にあたるのは「如下文云」以下に引用されている化城喩の直前の部分(大正九、二五c)で、譬喩を説く由来、主題をあらかじめ述べる段であるが、賓法師はここの部分が、無余涅槃に入った定性二乗が廻心向大する様子について説かれているとし、また『涅槃経』巻十如来性品の次の箇所と同じ内容であるとするのである。

迦葉菩薩白仏言、「世尊。若一切衆生有仏性者、仏与衆生何差別。如是説者多有過咎。若諸衆生皆有仏性、何因縁故舍利弗等以小涅槃而般涅槃、縁覚之人於中涅槃而般涅槃、菩薩之人於大涅槃而般涅槃。如是等人若同仏性、何故不同如来涅槃而般涅槃」
「善男子。諸仏世尊所得涅槃、非諸声聞縁覚所得。以是義故大涅槃名為善有。世若無仏、非無二乗得二涅槃
迦葉復言、「是義云何」
仏言、「無量無辺阿僧祇劫、乃有一仏、出現於世開示三乗。善男子。如汝所言、菩薩二乗無差別者、我先於此如来密蔵大涅槃中已説其義。諸阿羅漢無有善有。何以故。諸阿羅漢悉当得是大涅槃故。以是義故大涅槃有畢竟楽、是故名為大涅槃」(大正一二、四二三a)

賓法師によれば、『法華経』に言う「入涅槃」というのが傍線Aにあたり、有余涅槃を意味する一方、「入涅槃」というのが傍線Bにあたり、無余涅槃に入ってしまったことを意味するという。その無余涅槃に入ってしまった二乗が、「仏の智慧を求めて、是の経を聞くを得て、唯だ仏乗を以て、滅度を得る」(法華経)、あるいは「悉く当に是の大涅槃を得べし」(涅槃経)というのであるから、無余涅槃からの廻心向大の証であるというのであろう。

また、『勝鬘経』に「阿羅漢辟支仏得涅槃者、是如来方便」(大正一二、二一九c)と説かれているにもかかわらず、どうして三乗が真実であるのか、と徳一は自問し、『成唯識論』を引用して、それに答えているのであるが、これに対して最澄は、慈恩大師の手が加わっている『成唯識論』による答えを「証と為すに足らず」(大正七四、二二一a)とし、賓法師の『楞伽経』による解釈を正義として提示する。

引用される賓法師の範囲がどこまでかは、他の引用と同様、推測に頼るほかはないのであるが、「大唐大薦福寺賓座主云、如十巻楞伽第二末、説無余中有意生身、寂覚更修、方得成仏故。彼文云…」(大正七四、二二一a)とあるので、『楞伽経』の解釈が行われているところは賓法師の文であると考えていいのではないかと思う。その『楞伽経』の引用であるが、賓法師は「十巻楞伽第二末」というものの、実際に引用されているのは『四巻楞伽』巻二末の次の箇所である。

大慧白仏言、「世尊。何故説三乗而不説一乗」
仏告大慧、「不自般涅槃法故、不説一切声聞縁覚一乗。以一切声聞縁覚、如来調伏授寂静方便而得解脱、非自己力、是故不説一乗。
復次大慧。煩悩障業習気不断故、不説一切声聞縁覚一乗。不覚法無我不離分段死故説三乗
大慧。彼諸一切起煩悩過習気断及覚法無我彼一切起煩悩過習気断、三昧楽味著非性、無漏界覚。覚已復入出世間上上無漏界、満足衆具、当得如来不思議自在法身」
爾時世尊欲重宣此義、而説偈言。
 諸天及梵乗 声聞縁覚乗 諸仏如来乗 我説此諸乗
 乃至有心転 諸乗非究竟 若彼心滅尽 無乗及乗者
 無有乗建立 我説為一乗 引導衆生故 分別説諸乗
 解脱有三種 及与法無我 煩悩智慧等 解脱則遠離
 譬如海浮木 常随波浪転 声聞愚亦然 相風所飄蕩
 彼起煩悩滅 除習煩悩愚 味著三昧楽 安住無漏界
 無有究竟趣 亦復不退還 得諸三昧身 乃至劫不覚
 譬如昏酔人 酒消然後覚 彼覚法亦然 得仏無上身
(大正一六、四九七a〜b)

この経文に即して、三乗・一乗を説く理由がそれぞれ三つずつ説明される。まず傍線Aについて賓法師は、所知障を断じていない者について三乗を説くのだという。

(17)一者不断所知障故。経意云、煩悩障并所発業、由此為因、感分段身、名為集諦。集諦所依之習気、即是所知障也。(中略)異熟識中、彼所知障、永不可断、明彼身中唯有二乗決定性、故不得説以為一乗(大正七四、二二一a)

煩悩障は所知障を所依とし、煩悩障である集諦によって生ずるのは我執であるから、苦諦を五蘊とする『融文』(10)の割注と相応すると言っていいだろう。所知障を永遠に断ずることができないということは、定性二乗であるということであり、一乗を説くことはできないのだという。しかし次の傍線Dに対する賓法師の解釈((18))にみられるように、この定性二乗も、頓悟性を持っていることからすれば所知障を断ずることができるのだという。

(18)彼経上下、呼煩悩障名起煩悩也。唯識深密、説所知障、是煩悩所依故。故所知障、是起煩悩過失之所依習気也。謂此習気断也。此第一文、説頓悟性、翻前第一定性二乗。由是頓悟、故異熟識有大乗種、遂有多力、能断所知障。是故、得説一乗之義。能断煩悩、不復待言(大正七四、二二一b)

ここに「異熟識有大乗」とあることから考えると、定性二乗についての一般的な説とは異なるようである。

次に傍線Bについては、法執を断じていない者について、三乗を説くのだという((19))。法執は所知障の原因でもあるから、右の(17)より一段深い状況を想定しているのであろう。

(19)二者不断法執故。如経云、「不覚法無我」者、謂由体是二乗性、不能創覚法無我理、即是畢竟不能得入菩薩見道也。既是小性、故説三乗(大正七四、二二一a)

これも逆に傍線Eを解釈するところ((20))では、頓悟の種性を持つ人であれば、法無我智を修し、大乗の見道を覚悟できるというのである。したがって、定性二乗が大乗の悟りを得ることができるからこそ、一乗であるというのであろう。

(20)此第二文、翻前第二、謂頓悟人、能修法無我智故、能覚悟大乗見道、得説一乗也(大正七四、二二一b)

三番目の理由は、前二者とは趣が異なる。まず傍線C部の解釈((21))において、三乗を説く理由を次のように説明する。

(21)三者雖復是定性二乗、要在化城已前、有異熟識、有余位中、建立三乗。故経云、「不離分段死故説三乗」。分段謂是異熟識為正体也。此人要在有余之時、建立性異。若無余即不可立三乗性異、故瑜伽論第八十云、「無余界中、不可建立此是如来、此是声聞等」。由此理趣、在有余時、但得説三、不得説一也(大正七四、二二一a〜b)

すなわち、『瑜伽論』巻八〇(大正三〇、七四八b)に説くように、灰身滅智の無余依涅槃界においては如来や声聞というような区別をつけることができないのであるから、三乗の区別がつくということは有余涅槃の段階なのだという。だから逆に傍線Fの解釈((22))を見ればわかるように、無余涅槃において分段生死を離れることで、一乗を説くことができるようになるというのである。

(22)三者定性二乗、翻前先在有余涅槃分段位故、故於無余、離分段位、得説一乗(大正七四、二二一b)

以上のことから、定性二乗は無余涅槃に入ってこそ一乗としての成仏ができるという賓法師の思想がうかがえるのではないかと思う。

最後に、円珍『辟支仏義集』巻下所収の「助照法華融文集上巻末」について検討したい。これは最澄の所引ではないものの、書名と引用範囲が明らかであり、貴重なものである。

この題目の直後に付された「此一件不切要而存之(この一文は必要ないのだが残しておいてある)」という内容の割注や、引用の最後に例外的に付された「但賓公釈麟角等非得記人(賓法師は、たったひとりで修行する独覚は仏の記を受けない、という解釈をしている)」というコメントなどから、円珍が賓法師を一切皆成論者とは見ていなかったのではないかという印象がある。

内容は、二類の二乗、すなわち不定性・定性のそれぞれについて、麟角独覚が、二乗とは異なることを証明せんとしている。全文を引用するとたいへん長くなるので、二類それぞれの冒頭にある「推理」の部分だけを引用したい。

(23)其独覚人雖同羅漢、於一生中具二無学。而阿羅漢是劣根故、見道已後出観更修方得無学。今麟角人是勝根故、入見道已更不出観、一坐便得無学果満故不同也。
且第一類明推理者、其不定性二乗之人声聞四果独覚三果并得遇仏、廻心入大。独覚第四必是至於無仏世時、方始得証、既不遇仏無処得聞大乗諸経作廻心、縁此等法必是趣寂。是故必無無学独覚遇仏廻心也(『智証大師全集』中、六二七下〜六二八上)
(24)第二類且推理者、定性二乗過去曾行大乗行者、容遇法華得同体記、声聞四果独覚前三并容遇記。独覚第四必不遇仏、無容仏記、故須除之(『智証大師全集』中、六三〇上)

これによると、麟角独覚が一度坐禅を始めたら、その止観から出ることなく声聞の無学果と独覚の無学果とを悟ってしまうということを定義する。そのうえでまず不定性については、声聞の四果と独覚の三果までは、大乗経を聞くことで廻心向大することができるのであるが、仏に会う暇もなく独覚の無学果を得てしまう麟角独覚は廻心することができないという((23))。また定性についても同様で、声聞の四果と独覚の三果までは法華会において仏の授記を受けることができたのであるが、仏に会うことのない麟角独覚は記を受けることもないので、法華会の二乗のなかには入らないというのである((24))。

この文脈だけでは、賓法師が一分不成仏説を唱えているのではないかという円珍の懐疑もいたしかたないかもしれないが、先に分析したとおり賓法師は定性・麟角の成仏を言明しており、右にあげた箇所も廻心向大を不定性に限る法相宗側の主張に対して、不定性ではなく定性なのだということを証明せんとしている部分なのではないだろうか。

五  小結

以上、断片をかき集めただけの、はなはだまとまりのない分析に終始してしまったが、賓法師および『融文』に見られる思想の特徴は、つぎの三点にまとめられるのではないかと思う。

  1. 法宝、摂論教学との近親性。
  2. 引用は『涅槃経』が中心。
  3. 定性二乗の無余依涅槃からの廻心向大を強調。

一については再三指摘したとおりであり、二についても、法宝などが涅槃宗とされていることからすれば一と内容的に通ずるものである。ただし、『涅槃経』を奉ずる人々はその理論的な裏付けを旧訳の『摂大乗論』や真諦に求めたとされているが、賓法師が玄奘の新訳とそれに基づいた法相教学の隆盛以降の人であることは、著作や引用文献から見ても明らかである。したがって、法宝以前に見られた『涅槃経』重視と、賓法師のそれとは自ずと性格が異なってくると考えるべきであろう。つまり、三にあげたことは、一見、一、二とは関連性がないようにも思えるが、新訳以後の涅槃宗の変遷を物語るものとして注目されるのである。

すなわち、この三については、単に定性二乗の不成仏を主張する慈恩に対する強い反発の現れとも考えられるが、新訳の『瑜伽論』や『仏地経論』などを根拠にして、定性二乗は無余涅槃に入るからこそ一乗なのだと言っているようにもとれる21、22などは、定性二乗の存在を法華以前の権教としてまともにとりあげようとしない法宝や最澄とは一線を画するものと考えられよう。

またこれ以外にも、これまで分析してきた『融文』および賓法師に見られる思想は、何度か指摘してきたように、最澄の天台教学とは相容れない要素を多分に含む。例えば、教判的には『解深密経』を『法華経』のひとつ下におく法宝の五時教判に近いものであり、四諦説についても二種四諦説をとっている。田村晃祐氏は「徳一の解釈を正すために引かれているのであるから、その内容については、最澄は肯定しているのであろう(15)」と述べられているが、部分的な肯定・依用ならともかく、最澄が『融文』全体を肯定していたとはとても考えられない。

それでもなおかつ引用したというのは、(5)において慈恩大師を批判する発言が見えるような、「敵の敵は味方」という発想なのであろう。薗田香融氏が「依憑天台の論理」と指摘されるものと同様であり、従って「最澄の弁証が権威あるものは何でも無批判に利用したのではない(16)」という点は常に留意すべきであろう。

また、賓法師が定賓ではないかということを幾度か述べたが、これは、『守護章』の成立に関する重要な材料を提供しているようにも考えられる。すなわち、定賓から戒を受けたという東大寺の栄叡・普照らを通じて、鑑真一派や、その弟子筋にあたる道忠門下と定賓との密接な関係が想像されるのであるが、田村晃祐氏が道忠系天台教団の作ではないかとする仮称『天台法華義』に、右のようなルートを経由して『融文』に見られるような思想が流入していると考えるのは、想像の域を出ないとはいえ興味深い作業仮説なのではないかと思われるのである。特に、『守護章』下巻にあたる仮称『天台法華義』後半部分に『究竟論』等の引用が目立つが、定賓と法宝教学との近親性は、この引用に必然性を与えるものとは考えられないだろうか。


  1. 浅井円道「上古日本天台における本覚法門展開上の限界」(『印度学仏教学研究』一六・一、一九六七年一二月)
  2. 薗田香融「最澄の論争書を通じて見た南都教学」(『平安仏教の研究』所収、一九八一年八月、法蔵館)。 このほかにも、田村晃祐氏が「『融文』が何よりの引用であるか分からない。 『台州録』には「天台山智者大師墳前左碑一巻 会稽上皇山人万斉融述 五紙」(『伝全』四・三五六)が載せられている。 これが管見の及ぶ所最澄関係で唯一の「融」という字が用いられたものであるが、恐らくこれではないだろう」 (『最澄教学の研究』四九八頁)と述べられている。
  3. 定賓の伝記史料としてまとまったものはないが、各書に散見するものを拾い集めてみると、 『宋高僧伝』巻一四「唐京師恒済寺懐素伝」(大正五〇、七九二b〜七九三a)に付伝として見えるほか、 『宋高僧伝』巻二「唐洛京聖善寺善無畏伝」(同七一四b〜七一六a)や『玄宗朝翻経三蔵善無畏贈鴻臚卿行状』の二か所 (同二九〇b、二九一c)に善無畏の喪儀を執り行った人物として登場する。 日本のものでは、『唐大和上東征伝』や後述の同「広伝」などに見える。
  4. これは、現行の淡海三船撰一巻本『唐大和上東征伝』に先行するものとされる、 思託撰三巻本の所謂『広伝』の逸文と考えられ、注目される。
  5. 布施浩岳『涅槃宗の研究』後篇(一九四二年、叢文閣。国書刊行会より復刊、一九七三年六月)五〇八〜五〇九頁。
  6. Paul Groner. Saichō: The Establishment of the Japanese Tendai School, Berkley Buddhist Studies Series 7, University of California at Berkley, 1984. このほかにも、望月『仏教大辞典』に同様の記述が見られる。
  7. 石田茂作『写経より見たる奈良朝仏教の研究』(一九三〇年五月初版、一九六六年七月再版、東洋文庫)附録。
  8. 寺井良宣「『一乗仏性究竟論』にみられる法宝の教学的特質 -『一乗仏性権実論』の欠落部分を中心に-」(浅田正博・吉田健一・寺井良宣・間中潤「『一乗仏性究竟論』の共同研究」所収、『印度学仏教学研究』三五・二、一九八七年三月)
  9. 浅井円道氏の前掲論文「上古日本天台における本覚法門展開上の限界」には、「その本覚とは真如の随縁性の意味に外ならず、また仏性の同義語にすぎない。従って大乗起信論の綱格に近」い、と述べられている。
  10. 久下陞『一乗仏性権実論の研究』上(一九八五年一一月、隆文館)二五〇〜三三九頁。なお、『一乗仏性究竟論』巻三における該当箇所は、卍続一・九五・一、三七四左下〜三七七左下。
  11. 田村晃祐「最澄と『大乗起信論』」(平川彰編『如来蔵と大乗起信論』所収、一九九〇年六月、春秋社)
  12. 玻璃版『大般涅槃経疏 唐大薦福寺沙門法宝述』(一九二四年六月、朝鮮総督府)
  13. 田村晃祐『最澄教学の研究』(一九九二年二月、春秋社)四八八頁。
  14. この「古法師」について、従来の研究では法宝ではないかとされており、『一乗仏性究竟論』巻五の文との相似が指摘されてきた。田村晃祐氏は『究竟論』との比較を試みながらも、徳一が仮称『天台法華義』所引の法宝を引く場合には、ほとんど「有執」という呼称を使っているという特徴を指摘した上で、「この「古法師」で始まっている形は(中略)徳一の文中に引用される場合に似ている。従って『天台法華義』の中にあった文であるかどうか疑問がないではない」(田村晃祐前掲書『最澄教学の研究』二五七頁)とされている。筆者の調査によれば、この「古法師」引用文の後半にあたる『涅槃経』高貴徳王品の引用から後は、『法華玄賛』巻七末にみえる『涅槃経』同品の引用及び「古師」の解釈として紹介されているもの(大正三四、七九八a)とほとんど同じであるし、それに対する徳一の反論も、最澄に「玄賛の義を偸む」と言われるとおり、右に指摘した『玄賛』の「古師」の義に対する慈恩の反論をそのまま写したものにすぎない。したがって『守護章』の「古法師」は法宝ではなく、田村氏の疑問通り、徳一が『玄賛』の廻心向大論争を脚色して引用したものと考えるのが穏当であろう。
  15. 田村晃祐『最澄教学の研究』四八八頁。
  16. 薗田香融「最澄の論争書を通じて見た南都教学」。前の「依憑天台の論理」も同様。

付記 本論文は、東洋大学教授田村晃祐先生のご指導なしには完成し得なかった。ここに衷心より御礼申し上げたい。



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