ジラティーヴァ

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第3号: 特集「叙述」

(Special Issue: The Description)

  • 2004年3月刊、118ページ
  • 頒価1500円(会員1300円)

私たちは、『GYRATIVA』第3号の特集テーマを「叙述」とした。

私自身も含めて、あいかわらず「客観的事実」(という共同幻想)にもたれかかっている研究者の多くは、「内省と自己批判」をおろそかにしていると思う。ポストモダン的思考は、自明と信じて疑われることのなかった主観/客観という二項対立すら相対化してしまった。それによって過度な相対主義をひきおこし、偏った国家主義や民族主義に理論的な根拠を与えてしまったと批判することも可能だろう。しかし、研究対象について叙述することが「権力」の行使である以上、個々の研究者の問題意識、具体的な方法、そして叙述のあり方は、常に問われ続けている。

問題はまず、主観/客観という二項対立の克服にあるのかもしれない。「叙述」を特集テーマとして掲げたところ、その準備報告と議論の方向性は、期せずして主観/客観の克服に収斂していった。例えば、〈翻訳〉という行為を対象とする客観主義的叙述について、認識や叙述に持ち込まれる主体のあり方について、主体的実践としての叙述法と客観主義的立場について、対象との関係がそのまま認識と記述を律する主体的叙述について、などである。これらの試みとそれをめぐる議論はいずれも問題意識に直結する主体性をめぐって、客観主義的な対象の構成と叙述、そして主観主義的な対象の構成と叙述、このふたつの方法とその間にある問題を考えさせてくれる。

はたして、これらの試みはどのような関係でとらえられるのか。やはり二項対立的な関係にあるのだろうか。それとも問題意識のあり方、すなわち「何を明らかにし、何を書きたいか」によって容易に選定され配置されうるのか。おそらく、唯一の最も優れた方法などというものはないのだろう。しかし、どんな方法でもよいという極端な相対主義は困る。各々の問題意識に即した最良のあり方を求めて、相互に交流し補完しあうことこそが重要であろうと考えられるが、そのためには、みずからの恣意性や政治性を隠蔽することなく、多角的・総合的に叙述の方法について議論してゆくことが必要だろう。この特集「叙述」が、そうした議論の糸口になれば幸いである。忌憚のない御意見・御批判が寄せられることを期待したい。方法論懇話会は、つねに議論を歓迎する。(中澤克昭「問題提起:《叙述》までの道程をかえりみて」より)

目次と概要

中澤克昭「問題提起: 《叙述》までの道程をかえりみて」

(NAKAZAWA Katsuaki. Addressing the Issues.)

師茂樹「「私」を書き残すために―松本史朗「縁起について」の可能性―」

(MORO Shigeki. To Record Myself: A Potential of Engi ni tsuite by Shiro Mastumoto)

稲城正己「「見えないもの」を《書く》ということ―『日本霊異記』と「身体性」―」

(INAGI Masami. Description about Un-visibility: Body in Nihonryoiki.)

北條勝貴「〈書く〉ことと倫理―自然の対象化/自然との一体化をめぐって―」

(HOJO Katsutaka. The Ethics of Writing Nature.)

工藤美和子「文人官僚が〈書く〉ということ―菅原道真の願文をめぐって―」

(KUDO Miwako. Description by the Literacy Bureaucrats in Heian Period: Sugawara Michizane's GANMON.)

松木俊暁「支配を支えるものとしての〈物語〉―古代における被支配者層の主体性をめぐって―」

(MATSUKI Toshiaki. On Effects of the "Narratives" on Subjects of the Ruled Classes in Ancient Japan.)

水口幹記「総括: 〈叙述〉を〈叙述〉した論文について〈叙述〉する」

(MIZUGUCHI Motoki. Concluding Remarks.)

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